境内のご案内

  • 本堂

    本尊 不動明王
    面積 1500平米(500坪)
    天井絵総数 576枚
    本堂前大階段 121段
    完成 昭和49年(1974)10月

    入母屋建築で、内部の天井は二重折り上げになっており、画には八体仏が施されています。
    内陣80畳、外陣192畳、計272畳で、京都西本願寺の本堂と同じ大きさです。
    本堂の十二支や神獣の彫刻は日光東照宮の修復師によって施され竜宮城をモチーフにしています。
    本尊は不動明王で、右脇の千手観音、左脇の地蔵菩薩は、近代の日本を代表する仏師の松久朋琳の作となっています。

  • 千手観音菩薩(松久朋琳作)

    松久朋琳(まつひさほうりん)の晩年の傑作と言われています。
    この千手観音菩薩は木像で色彩豊かに着色されており、非常に珍しいものになっています。
    朋琳は大阪四天王寺より「大仏師」の称号を延暦寺より、「法橋大仏師」の称号を受けた近代の日本を代表する仏像彫刻家で、アメリカ建国記念に際しニューヨークに建立された大菩薩禅堂金剛寺の本尊菩薩像なども手がけています。

  • 地蔵菩薩(松久朋琳作)

    千手観音菩薩と同じく松久朋琳の晩年の傑作と言われています。
    非常に柔らかな表情など、朋琳作である仏像の特徴を良く表しています。
    地蔵菩薩も千手観音菩薩と同じように、木像で着色されています。

  • 善法堂

    完成 平成8年(1996)
    本尊 不動明王大仏
    建築様式 舞台造り
    構造 鉄筋

    平成8年(1996)に建立。
    内部の中心には本尊である5mの不動明王大仏がお祀りされており、護摩堂、納骨堂、立体曼荼羅が配備されています。

  • 不動明王大仏(善法堂内)

    完成 平成8年(1996)
    様式 木造
    大きさ 全長6m横幅7m
    日本最大級木造大仏
    仏師 西田法雲

    本福寺の不動明王大仏は九州を代表する仏師で僧侶でもある西田法雲作です。
    坐像で高さ6mもあり、その大きさは見る人を圧倒します。
    この不動明王も木像で着色してあり、全国的にも非常に珍しいものになっています。

  • 立体曼荼羅(善法堂内・五重塔地下)

    完成 平成8年(1996)
    中尊 覚恵上人大菩薩(右)
    覚法上人大菩薩(左)
    様式 輪島塗(日本最大)
    輪島塗高さ 4.3m
    輪島塗に仏様 12仏
    輪島塗製作 若島宗齋
    吊り灯篭 450基
    位置 五重塔地下

  • 五重塔(西日本最大級)

    完成 平成6年(1994)
    塔高 33.6m
    構造 鉄筋造
    位置 本堂の西
    法要 毎年11月御開帳法要にて五大明王が公開

    平成6年(1994)に建立された五重塔で、東京浅草の浅草寺五重塔を模して設計されました。
    本瓦葺き屋根は軒の出も深めで、若干の反り上りがある安土桃山時代から江戸時代前期の特徴が再現されています。
    塔身の朱色と相輪の金色が背景の緑とよく調和し、美しいロケーションを演出しています。
    毎年11月に開催される五重塔御開帳法要にて年に一度のみ扉が開かれ、御本尊である秘仏の五大明王が公開となります。

  • 五重塔ライトアップ

    ライトアップされた五重塔はお参り途中からもよく見え、暗闇に朱色の五重塔が浮かぶさまは幻想的でまるで異世界に導かれるようです。

  • 八十八ヶ所

    完成 昭和15年(1940)

    総本山本福寺では、基山(きざん)山頂までの歩きルートに八十八ヶ所霊場を御安置しています。
    光明念佛身語聖宗の宗祖木原覚法上人は、四国八十八ヶ所のお寺の各砂を本福寺に持ち帰り、八十八ヶ所のご本尊に一体一体の台座にお砂を奉安しました。
    山中になる参道のお堂・石畳・石仏・石塔・祠(ほこら)の殆どが人力によって運ばれ手作業により造られ、大変な作業だった事が伺えます。

  • 瀧場

    本福寺の瀧場は、今から1350年前に修験道の山伏たちが修行した聖地です。
    また、弘法大師空海は唐より密教を持ち帰り、太宰府観世音寺(かんぜおんじ)にて3年程滞在していたとされます。その期間、観世音寺から13kmの本福寺の瀧場に山林修行を好んだ弘法大師空海は瀧行なされたと伝わります。
    これが、本福寺の寺号である「中山一之瀧」の由来です。
    また、難病・大病の秘薬として瀧場の水を飲む事で不治の病が治ったとお話をされる方もいらっしゃいます。
    今でもお水を汲みに来る方々が、九州・西日本を中心に後を絶ちません。

  • 大師堂

    本尊 弘法大師空海像
    完成 昭和25年(1950)

    現在の本堂が建立される以前は大師堂が本堂としての役割を担うお堂で別名を遍照殿(へんじょうでん)とも称されます。
    平成18年(2006)に大師堂改修工事が施されましたが、建立当時は道が悪く材木は麓より人力によって運搬されました。
    堂内は弘法大師空海像・秘仏の歓喜天像(聖天様)・馬頭観音像が安置されており、歓喜天(聖天様)のご縁日である毎月1日16日は必ず大根を供え、供養が行われています。
    また、子授け・恋愛祈願・夫婦円満・良縁祈願として多くの参拝があります。

  • 宗務所

    受賞歴 九州建築賞受賞
    完成 昭和51年(1976)4月

    当時としては3階建の鉄筋コンクリート造り宗務所は他には類を見ない程の建造物でした。
    そのため、その年の九州建築賞を受賞し、九州内外の建設設計関係者より絶賛されました。
    宗務所は総本山として宗派を総括するための要(かなめ)であり、宗務所の完成によって光明念佛身語聖宗が文部大臣により包括宗教法人としての認定を受けました。

  • 観音堂

    完成 平成13年(2001)5月

    関西地方に点在する西国三十三観音霊場をお祀りしています。
    清水寺の舞台を思わせるような舞台造りで、境内が一望できます。舞台から町を見下ろす景色は圧巻です。観音堂周辺には桜並木があり、お花見の時期には最適です。

  • 観音堂ライトアップ

    基山中腹にある本福寺は、五重塔とともに観音堂がライトアップされると、ランドマークとして遠くからも見ることができます。

  • 光明院

    本尊 不動明王(護摩堂)
    完成 昭和57年(1986)4月

    堂内には1階に食堂、休憩所、2階に護摩堂・水子堂が完備されています。
    護摩堂には運慶快慶両仏師作と伝わる不動明王像を祀っています。
    水子堂には全国の御信者様より約4000体の水子地蔵様が永代供養されております。
    光明院地下には大浴場が完備されています。

  • 御廟

    階段 88段
    五輪塔 158基
    完成 平成2年(1990)5月

    御廟(ごびょう)の中に歴代の管長猊下の遺骨が納められ、本宗歴代の管長猊下の各御宝号と種字(梵字)が刻まれています。
    御廟からの景色は五重塔をバックに鳥栖・久留米・基山・筑紫野が一望でます。
    平成11年(1999)に野村もみじ100本、吉野桜50本、山ボウシ100本、カヤ10本、平戸ツツジ1300本が植えられました。

  • 専修学院(勧学院)

    昭和61年(1986)4月に本宗派の将来を担うべき指導者育成施設として開校されましたが、少子化によって現在は休校としています。現在は年に数回各教区の僧侶が集まり、講習会をこの建物内で実施しています。
    建物内は寮舎(学院生宿舎)・勧学院ホール・持仏堂・談話室・応接室・事務室・大講義室が完備されています。

  • 百年堂

    本尊 千手観音菩薩
    階段 24段
    完成 平成23年(2011)

    平成23年(2011)に本宗派立教100周年記念事業にて建てられました。
    お堂には西国三十三観音霊場第三十三番札所・坂東三十三ヶ所・秩父三十三ヶ所の3つに霊場の各御本尊様をお祀りし参拝できるようになっています。

  • 七福神

    百年堂近くにある七福神像は信者の寄進により建立されました。
    七福神の表情はそれぞれが愛らしく、背景の亀甲積みブロック壁とほどよく調和し、観光客が写真を撮るフォトジェニックスポットとなっています。

本福寺は、新元号「令和」で注目を集めた大伴旅人が、太宰府防衛のための奈良から派遣され築いた日本最古の朝鮮式山城「基肄城」のある基山(きざん)の南麓に位置しています。
昔から、「基肄城」のある基山(きざん)は仏法興隆の場として、真言密教(東密)、天台密教(台密)の修験道の山伏たちは、基山にこもり瀧に打たれ、山をこえ峰をこえての山林修行を行い、当時の山岳信仰の最先端を極め、修験道山伏たちの修行場・禊の場として栄えました。
宝永6年(1706)、貝原益軒の『筑前国続風土記』によれば、城山千坊・城山四王院と記され、その地が朝鮮式山城基肄城から修験道の聖地へと展開し1000もの寺院が点在していた事を物語っています。
今でも本福寺の瀧場には宝篋印塔(ほうきょういんとう)・60基の五輪塔・板碑が立ち並んでいる事から、基山が修験の道場となった事を物語っています。山麓には不動寺・寺谷・仁蓮寺・天台寺などの寺名のつく集落や、仏谷・道場原などの地名は、その遺称であると伝えられています。そのような風土の位置を中山とも称され、光明念佛身語聖宗 総本山 中山一之瀧 本福寺が建立されました。